今日は朝イチ、ばぁばの兄妹が東京や姫路から集合し、各配偶者も含めた総勢7名で道後温泉へと旅立って行きました。いつまでも兄妹仲良く行き来ができるっていいですよね。松永の洋服屋3代目ヨメみちよです。
今日は「亥の子」さん
私の住む松永という地域には、11月の最初の土曜日に「亥の子」という行事があります。どんな行事かは3年前のカズノリブログをご参照ください→「亥の子さんという人は」
元々は旧暦の「亥」の月(10月)の最初の「亥」の日(現在の暦だと11月の最初の「亥」の日)に行われていたものですが、子供(主に小学生)が参加する夕方から夜にかけての行事なので、今は11月の最初の土曜日になっているようです。幼きカズノリ氏も参加していたそうなんですが、この「亥の子」という行事、ここ松永から車で30分ほど内陸にある私の地元府中市にはなくて、こちらに嫁いできて初めて知りました。どうも、中国地方や四国の瀬戸内海沿岸だけで行われているようです。
夕方、小学生たちが歌いながら紐にくくりつけられた大きな石をお店の前の道路に打ち付け、歌が終わるとこちらがご祝儀を渡します。なんとなく和製ハロウィンみたいな不思議な風習だなあと、起源を知りたくなって以前ちょっと調べたことがありました。
「亥の子」の起源は?
古代中国に「亥子祝(いのこのいわい)」という儀式があって、亥の月亥の日の亥の刻に穀物を混ぜ込んだ餅を食べて無病息災や子孫繁栄を願ったそうです。これが「亥の子」の起源ではないかと言われているそうですが、もう一つ、「日本書紀」に書かれている「景行天皇の九州遠征」を起源とする説もあって、私は「亥の子」の起源としてはこちらを支持しています。
景行天皇(けいこうてんのう)とは日本の古代の天皇で、「日本書紀」には、九州にいた「土蜘蛛(つちぐも)」という、天皇に逆らう人たちを討伐したと書かれています。その際に、椿の木で作った槌(つち)で兵士は土蜘蛛たちを叩き殺し、その血は足首が浸かるほど大量だったとか川を赤く染めたとか。
この物語の歴史的な意味などは置いておきますが、「亥の子」で子供達が石を道路に打ち付ける様子が、兵士が木槌で土蜘蛛を叩く様子を連想させます。そして「亥の子」が西日本の瀬戸内海沿岸部でしか行われていないこと、これは景行天皇が九州へ下っていった経路と重なるのではないかと思われます。そんなわけで「景行天皇の九州遠征」が「亥の子」の起源で、これに「亥子祝」の要素が混ざって、現在、無病息災や子孫繁栄、商売繁盛を願うような歌を歌っているのかなと。
こんな話、小学生達は全然興味ないんだろうなーと思いながら、今日も商売繁盛を願ってくれる歌を聴き、ご祝儀を渡したいと思います。では。
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下宮 美智代
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